—縁起—
太山寺は、栃木県栃木市の太平山東山麓に位置し、正式名称「たいさんじ」通称「おおやまじ」として知られている。
太平山は平安時代に、天台第三座主 慈覚大師 円仁により開山された。
山頂に太平山大権現を祀り、日・月・星の三光天子を配する別当三ヶ寺をもって隆盛を極めていた。
その月天子に当たる寺院が、月輪坊太山寺である。
現在地より高台にある、月輪の地に創建され
天正十二年(1584年)皆川・北条氏の戦火により伽藍は焼失した。
その後当山は、徳川三代将軍家光公の側室 お楽の方により再興され
お楽の方の法号である「寳樹院」を寺の院号とし、寳樹院太山寺となる。
延宝三年(1675年)奈良県桜井の総本山長谷寺の直末となり真言宗 豊山派となった。
仏 像
-
ふどう みょうおう
不動明王
明和5年(1768)に厨子が建立されている事からそれ以前の造立と推測される。
太平山般若教寺日輪坊日天子・天照大神の本地仏不動明王であった本尊の御前立尊と思われる。
明治時代の廃仏稀釈に移され当山の本尊となった。 -
もんじゅ ぼさつ
文殊菩薩
寛政4年(1792)の造立。
太平山大権現(現在の太平山神社)の西端にあった鐘楼門の上に祀られていた。
明治時代の廃仏稀釈の時に、当山に移された。 -
だいにちにょらい
大日如来
寛政5年(1793)の造立。
佛師 日光之人 髙柳幸八郎。
太平山大権現(現在の太平山神社)の西脇にあった大日堂に祀られていた。 -
しゃかにょらい
釈迦如来
寛政6年(1794)の造立。
大佛師 権大僧都法橋法印 髙柳徳寳。
太平山大権現(現在の太平山神社)の東脇にあった釈迦堂(現在:太平山神社の星宮)に祀られていた。 -
だいいとくみょうおう
大威徳明王
寛政6年(1794)大威徳明王・愛染明王の厨子共に同年奉修とある事から、それ以前の造立と推測される。
愛染明王(現在:連祥院六角堂の所蔵)と共に太平山大権現(現在の太平山神社)の下段にあった護摩堂に祀られていた。 -
やくしにょらい
薬師如来
天正12年の伽藍焼失の後、再建された太山寺の
本尊として祀られていた。
平成22年に修復された。日光菩薩・月光菩薩は
新調したものである。
※本堂、外からの参拝のみとなります。
と よ か わ い な り だ き に し ん て ん